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2008-05-28 Wed
ワーキングホリデーを利用して、このほどベルリンから21歳の青年が当店でアルバイトをすることになりました。
日本語を勉強中とのことで、カタコトですが日本語を話せます。
旅行や、趣味のスポーツ(サッカー、卓球)のほか、日本映画も興味を持っているとのこと。
お客様とお話するのも大好きだそうです。
好青年ですので、ネイティブなドイツ語を話したい方は是非いらして、会話を楽しんでください。
ドイツ人と話をする機会は札幌ではなかなかありませんが、こんな機会を利用してドイツ語会話の面白さを体験するのもよろしいかと思います。
ビールが大好きな青年です。
きっと、少しアルコールが入ると、本音で話してくれることも多いでしょうね。
雑記帳 : 00:31 : comments (x) : trackback (x)
2008-05-09 Fri
小麦粉がずいぶん値上げになりました。
品薄なんだそうです。
最近はそんな影響からでしょうか、お米の粉を使ったパンが注目されていますね。
そこで、北海道といえばジャガイモ。
ドイツもジャガイモを主役にした料理がいっぱいですね。
ジャガイモを使ったパンがあってもいいじゃないかと、作ってみました。
ジャガイモだけで作るのは難しいのですが、小麦粉とジャガイモを半分にしてパンを作るのは可能です。
焼きたてのジャガイモパンは、思いのほか美味しかったです。
世界的な食糧危機が来ても、生き延びることができるかも・・・
ご希望があればお作りします。
雑記帳 : 23:52 : comments (x) : trackback (x)
2008-05-03 Sat
ドイツ大使館

20世紀の指揮者の中で、カラヤンほどアカデミックなクラシックの世界を超え、一般にも知られた指揮者はいないでしょう。音楽史上初めての「メディア指揮者」は今も、あらゆるジャンルの音楽家の手本となっています。
彼の目標は完璧な音。弾き始めの濁った音が混ざらない、絶対的な美しさの音でした。カラヤンは、全ての声、全ての楽器の音が、はっきり識別可能であるべきだと考えていました。この「黄金の響き」は、今でも全く影響力を失っていないようです。尊命であれば、2008年4月5日に、生誕100年を迎えたこのスター指揮者は、彼の音に対する探求心と共に、あらゆるジャンルの音楽家を刺激し続けます。
例えば、メゾソプラノのクリスタ・ルードヴィッヒは、カラヤンは、「美しいフレージング、音の響き、レガート」を大切にしていたと語ります。「現代なら、カラヤンにはグルーヴがあったといわれるでしょう。」グルーヴのエキスパートであるレニー・クラヴィッツは述べます。「カラヤンはロックンロールだった。」
カラヤンを一度聴くと、離れられなくなる
オーケストラ演奏による初めての作品、「天空の音楽」を発表したばかりのマイク・オールドフィールドにとって、カラヤンはクラシックの曲の理解や解釈の基準となる指揮者です。「私がクラシック作品の録音を探すと、選ぶのはほとんどカラヤンでした。こんな風に彼の指揮の演奏になじんでしまい、他の指揮者による演奏を聴くと同じ曲でも何か違うと感じてしまうのです。」
カラヤンには人々が求めるものを感じる力があったため、生前から大衆迎合的という批判を受けることになりました。ニコラウス・アンノンクールなど他の指揮者は、カラヤンはクラシック音楽を単に「夕べを演出する道具」におとしめたと、間接的に批判しました。
技術フリークとメディア指揮者
これに対し、カラヤンが技術上の基準を構築した事に関しては異論はありません。彼が音楽史上初の「メディア指揮者」であり、スケールの大きい最初の音楽マネージャーとして成功をおさめたとされているのは当然のことです。またカラヤンは、音楽の映像化におけるパイオニアのひとりでした。彼はすでに1930年代から、LPレコードの持つ可能性に関心を持っていました。この大指揮者は、音楽ビデオの先駆者の一人でもあります。
何をするにも最高の結果を目指した彼は、これと同じ妥協のない意志で、当時の最新技術を音楽映画やオぺラやコンサートの映画化に投入しました。技術フリークであるカラヤンは、ソニー・グループの当時の盛田昭夫会長とともに、コンパクトディスク(CD)開発に決定的な影響を与えました。
私はどこでも必要とされる
カラヤンの才能を発掘する力も賞賛されています。彼はヒルデガルト・ベーレンスやアグネス・バルツァなどの歌手のほか、バイオリニストのアンネ・ソフィー・ムターなどを見出しました。また彼は、自分の音楽家としてのキャリアも、決して偶然にゆだねることはしませんでした。カラヤンは明らかに出世のためアドルフ・ヒトラーのNSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)に入党し、ベルリンで仕事を得る恩恵を受けました。
ただし、ヘルベルト・フォン・カラヤンがキャリアの階段を駆けのぼったのは、第二次世界大戦後でした。ヴィルヘルム・フルトベングラーの死後、1955年にカラヤンはベルリン・フィルハーモニーの音楽監督に就任し、死の直前までこの仕事を続けました。また一時はザルツブルグ音楽祭芸術監督、ウィーン国立歌劇場の音楽監督も務め、しばしば客員指揮者としてニューヨークやミラノのオーケストラを指揮しました。彼があらゆる場所で活躍した事を物語るジョークがあります。カラヤンがある地に到着し、タクシーに乗り込みます。運転手の「どちらへ?」の問いに答え、カラヤンは言います。「どこでもいいよ、私はどこでも必要とされるから。」
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、20世紀の他のどの指揮者よりも、大きな権力を持っていました。晩年になって体調を崩し、ベルリン・フィルと対立するようになって始めて、この権威は崩れはじめました。カラヤンは1989年7月16日、ザルツブルク近郊のアニーフで、81歳で亡くなりました。

ドイツ関連 : 20:17 : comments (x) : trackback (x)
2008-05-02 Fri
白いアスパラ(シュパーゲル)が市場に出始めました。
ドイツの春は、このシュパーゲルを抜きにしては語れませんね。
日本では白いアスパラよりも、グリーンアスパラが主流ですが、ドイツのシュパーゲルをぜひ召し上がってください。
お店では、アスパラのゆで汁を使ってのスープをセットでお出しします。
それから、ソースは定番のオランデーズソースですが、最近、バターがとっても品薄で、苦労しております。
ソースには欠かせないものですから『売り切れ』という状態があるかも知れませんが、どうかご容赦ください。
ジャガイモをホークの背でつぶして、これにソースをからめて召し上がると、おいしいですよ。

雑記帳 : 04:34 : comments (x) : trackback (x)
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